![]() 私の楽器 色々と弾かせてもらいました 」
Mandola 町野俊明
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高校(1951)では「ハーモニカ バンド」に入部。ヤマハのC、C♯(A440)のハーモニカをすぐに買いました。クラブにはベースやコード(例えばドミソが並んでいて一緒に咥えて吹ける)ハーモニカが有り、遊んでみました。ハーモニカならば、今でも目立つ楽器を持たずに 隠し芸 に使えると思い、2012年にレバーで♯に切替わるクロマチック ハーモニカを銀座ヤマハで買いました。仕様では442Hzなのにチューナーで調べると444Hzだったのでヤマハに苦情を言うと、メーカーの日本代理店に行き「これで良いのです」と言われたとかで、ヤマハが私に謝り、返品してしまいました。 大学(1954)に入ると、兄がマンドリンクラブで演奏会に出ていたのを見ていたので、文句なしに入部しました。楽器は兄の使っていたものを利用しました。これは、伯父が1910頃に明大で弾いていた話を聞き、借りたようです。翌年には自分のSuzukiマンドリンを手に入れることができました。 社会人(1958)になって最初は会社の事業を理解する研修で、試験の無い学生のような楽しい生活です。高校時代のクラスメートに誘われて「新堀ギター音楽院代々木」に一年ほど通いました。買ったギターはYAMAHA の安い機械加工品でしたが、音量も音質も私には十分でした。 横須賀に単身赴任(1979-1981)になった機会に「横須賀マンドリンクラブ」に入れてもらいました。クラブのマンドラが空いていると言うので、それを借りました。1980年には、石川捷二郎のマンドラを買いました。普通は楽器に買った人の名前を書いてくれると思っていましたが、手配してくれた人は「この人はもう歳(45)だから手放すかもしれない」と考えたのか、在庫品だったのか「手工品 石川捷二郎」と書いてあります。 立川MCには1981(第1回定演の1年前)マンドラで入りました。その後、国分寺MCでギターが居なくなりそうになって、ベース音だけでも弾こうと思い、立川も同時に第6回からギターに転向しました。そのうちに「安いけれど良い音の出るマンドリンが出来たよ」と言われて、「遊びに使かおうかな」と返事をしたところ「とても良い楽器が出来た」と横須賀MCの友人を連れて安くない方のCuoreマンドリンを持ってきたので、買う羽目になりました。ちょっと使って見ようと第11回からマンドリンに移動しました。2年後(1994)に保谷ギターアンサンブルにも誘われて入りました。 1989-06-17昭島市公民館3階視聴覚室 おしゃべりマウス PART IV(朗読の会の発表会) ことばの音楽会 ![]() 立川MCにバックの音を付けるのを頼まれたようで、ギターのベテランは上手に逃げたのか私にお鉢が回ってきました。来たのは日本語の原稿のみです。私は①マイク無しの話なのでmp程度で。 ②知っている曲では音楽に気を取られて話が聞き取れないといけないので、ギター教室の入門書の練習曲から静かな曲を選びました。 ③時間が不明なので、文章の途中経過から残り時間を予想して繰り返す場所を3か所設定。 ![]() |