立川マンドリンクラブ会報 第76号2022.07.23発行
立川マンドリンクラブと出会って
Mandolin Cello 粟屋淳子
 鹿野代表から「トレモロ第38号を読んでみて下さい。粟屋さんが立川マンドリンクラブに入った時、翔太郎くんは大学1年生、栞ちゃんは小学6年生でしたよ。振り返って、次号の原稿をお願いします。」とお話しをいただきました。鹿野さん、よく見つけてきますね。さすがです。
 高校の同窓会を機に部活動でやっていたマンドリンを弾きたくなり、立川マンドリンクラブに入りました。あれから11年が経ちます。
 はじめの頃はファーストの後ろの方でひっそり合奏を楽しんでいましたが、3年経ったところでセロに挑戦。低音の魅力に楽しさが倍増し、古田さんに負けない大きな音を出すことを目標に日々奮闘しつつ、今に至っています。
 クラブでの年月は親子共演の歴史でもあり、私にとってこんな幸せはありません。翔太郎もはじめは矢島さん井原さんを頼って最年少らしく大人しくしていましたが、今は図々しくも奈津子さんに指揮のアドバイスをするまでになり、演奏技術や音楽知識の向上と、年上の人達とコミュニケーションのとり方など成長したと思います。
 私は今年10月で長い銀行勤務の定年を迎えます。仕事と家庭、いつも前向きに、大変なことも楽しんで力に変える生き方をモットーにやってきました。立川マンドリンクラブと出会って、忙しさが増えたことは当然ですが、豊かな瞬間が沢山あって、それが生きて行く支えになったのは間違いありません。
 3ヶ月ほど前に主人がコロナに感染し、一週間の自宅療養の後に入院しました。認知症の義母の世話もあり、子供達と一緒に精神的に苦しい日々を過ごしました。そんな時に、フレコンの音源がアップされ、女子五重奏を聴きました。五人の音が響き合って曲になっていて、一人じゃないんだと励まされている気がして、元気が出ました。音楽で繋がっている仲間がいるのは、かけがえのないことだと実感しました。
 この4月から、翔太郎は母校である男子校の音楽教師、栞は大学病院の看護師として、社会人をスタートしました。人生の本番に差し掛かる子供達と、余生に差し掛かる私、これからも音楽と関わり合いながら、お互いに豊かな人生を歩んでいけたらと思う今日この頃です。