立川マンドリンクラブ会報 第722020.07.19発行
生誕250年 ベートーヴェンの謎
令和2年1月18日 読売新聞夕刊
“耳の渚”  池辺晋一郎より
『ベートーヴェン』{van Beethoven:v.B.}名前の由来及び家系
 ○ 甜菜の農場を意味すると言う説
 ○ ベルギー北部、通称フランドルのリンブルク州トンヘレンという町の近くにあった地名に由来すると言う説

 【曾祖父 ミヒャエル v.B.】パン職人 ベルギー北部の通称フランドルに在住
   Ι
 【祖父 ローデンワイクv.B.】フランドルからボンに移住 ケルン選帝侯宮廷の楽長
   Ι
 【父 宮廷歌手(tenor)ヨハン v.B. 】ーー【母 宮廷料理人の娘 マリア・マグダレーナ】
                         Ι
                    【ルートヴィッヒ v.B.】


 やがてルートヴィッヒはウィーンに出て、音楽活動を開始する。当時ハプスプルグ家に統治されていたウィーンはオスマントルコに包囲されたこともある町だ。1789年にはフランス革命が勃発。そんな激動のなかで、音楽史におけるベートーヴェンの位置は「古典派」とされる。しかし、ベートーヴェンは、他のどの作曲家とも同じくくりにはならない。例外はあるにしろ、それまでの作曲家たちが王侯貴族や教会に雇用された仕事をしたのに対し、音楽を「芸術」と捉えて自己の世界観や主張をそこに内包させた最初の作曲家と言っていいからである。
 音楽家として致命的である耳の疾患、弟たち宛ての遺書(1802年に書かれたもので「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる)などが、作曲家としての評価をより高めてきた。

 『謎』
* 宛先不明の「不滅の恋人への手紙」(1812年7月6日~7日に書かれたもの)
* 「交響曲第5番」の冒頭について、ベートーヴェン自身が「運命はこのように扉を開く」と語ったという話(最近では、キアオジという鳥の鳴き声だという説が有力になってきている。)
* 「弦楽四重奏曲第16番」でベートーヴェンは曲中の二つのモチーフにそれぞれ「かくあらねばならぬか?」「かくあるべし」と注記した。
 これは深遠な哲理と受け止める説と、金銭に関わる軽い会話だとする説がある。
 真実は謎。
* 伝えられるベートーヴェンの最後の言葉「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」何とも意味深なことをいう人である。
が、もはや瀕死の状態でワインを飲めず、愛飲家として残念至極。思わず漏らした言葉こそ最後の言葉だと言われる。
 多すぎる「謎」により、ベートーヴェンは大仰に神格化されていると言っても過言ではない。意志の強固さを感じるデスマスクや、苦虫を噛み潰しているような肖像画が、神格の度合いをいたずらに深めているのかもしれない。
 今年のアニヴェーサリーを機に、その実像と真の価値をあらためて見つめるべく、研究がさらに進むことを望みたい。
 ベートーヴェンと同業の末席の末席、その端にいる者としての、切なる思いである。
                  250万㎡と広いウィーン中央墓地の名誉地区にある
                    左 ベートーベンの墓  右 モーツアルトの墓