立川マンドリンクラブ会報 第692019.06.15発行
民話のふるさと「遠野郷」 鈴木静一(1980)
初山 高志
★鈴木静一氏の最後の作品となったこの曲の初演は、1980年5月16日。浅草公会堂での日本女子大学マンドリンクラブ第18回定期演奏会でした。同月、鈴木静一氏は、初演を聴かれることなく永眠されました。この曲の舞台となる遠野は、岩手県の南東部、北上山地最大の盆地である遠野盆地に位置します。岩手県の花巻と釜石とを結ぶJR釜石線(旧国鉄釜石線)のほぼ中間地点であり、古くから交通の要衝で、ときには盛岡よりも栄えていたと言われています。また、JR釜石線の前身の岩手軽便鉄道の宮守川橋梁は、遠野の隣、花巻出身の宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」の舞台とも言われています。柳田國男の「遠野物語」で有名な遠野には、数多くの民話が伝承されています。大幻想曲「幻の国」~邪馬台、交響詩「比羅夫ユーカラ」~北征の史 等を作曲された氏にとっては、一度は訪れておきたい地であり、モチーフの宝庫であったのだと個人的に考えます。



民話のふるさと「遠野郷」初演版のナレーション原稿
第一楽章 遠野盆地  私は昭和のはじめ、北海道からの帰り道、盛岡から南に走る国鉄の車窓から、東方に連なる山並みの中に、ひときわ高くそびえる峰を発見した。そしてそれが遠野物語の早池峰山(はやちねさん)と直感し、間もなく着いた花巻駅で途中下車してしまった。
 花巻から早池峰へは、鉄路に沿い、北上川を挟んで広がる広野を抜け、遠野街道の大迫(おおはさま)から山道に入り、早池峰神社からは嶮しい道をたどる。約二千メートルの絶頂点に立った瞬間、思いがけない景観の展開に驚かされた。頂上から真正面の遠方に広がる太平洋……  いやそれより早池峰の絶頂から南へ向かい、滑らかになびき落ちるふた筋の山並みの間に広がる盆地……それが遠野だったのである。
第二楽章 遠野の民話"雪女"
 遠野には様々な民話が伝えられているが、その多くはのどかな風景にふさわしくない不気味な物語が多い。今、その中から一つ「雪女」を取り上げよう。
 雪女と呼ばれる女性の妖怪は、小正月に現われると民話は伝える。
 小正月は、普通の暦より半月遅れる、この地方だけのお正月である。
 その遠野の村には、年老いた両親と暮らす作造(さくぞう)と言う若い木こりがいた。
 ある夕暮れ、降りしきる雪の中を家路をたどるうち、作造は前方に一人の女の姿をみとめた。
 女は降りしきる雪より色白の美女であったが、見ると胸に乳呑児を抱き、静かに歩いていた。
 瞬間、作造は雪女と思った。が…そうした疑惑を忘れさせる女の美しさに、茫然とそのあとをたどって行った。やがて作造の姿に気付いた女は「自分には泊まる家がない」と心細げに胸の子供を抱きしめた。作造は「汚い家だが、私の家でよかったら、いつまででも泊まりなさい」と女を我家に連れ戻った。
 こうして雪のように美しい女との生活が始まった。女は何でも、作造やその両親には従順であったが、唯ひとつ、赤ん坊の入浴だけには応じなかった。 いく日かそんな生活が続いたが、ある夜、女が外出した時、丁度沸かした風呂に、作造が赤ん坊を抱いて入浴すると、思いがけない異変が起こって作造を仰天させた。
 さほどとも思われない湯の中で、赤ん坊は見る見るうちに、どろどろに溶けてしまったのだ。  やがて戻った女は、悲しみ、一言も言わず作造の前から姿を消してしまった。
第三楽章 小正月の橇子(そりんこ)遊び
 雪が降れば、恐ろしい雪女が現われ、子供らをさらう。
子供達を怖がらせる小正月の唯ひとつの楽しみは、滑らかな早池峰の山並みでの橇(そり)遊びである。 小正月の橇子(そりんこ)遊び…。