立川マンドリンクラブ会報 第682019.04.07発行
10年を振り返る
1st Mandolin 浜田 義継
 立川マンドリンクラブの一員に加えて頂き10年が過ぎました。これまでの足取りをかえりみます。
1.入部前後
会社勤務をそろそろ終えようとしていた時、知人の某社社長から、その社業への助力を乞う申し出を受けました。迷いはありましたが遠慮しました。迷った理由は、仕事がない日々の過ごし方のイメージが思い浮かばなかった為です。
 他方、趣味としていた囲碁を毎日できるなら、それで十分幸せではないかと思っていました。それまで、日本棋院、新宿・丸の内・等の碁会所で出会った方や仲間内のライバルと対戦して、楽しい時間を持っていたので、時間の制約無しで囲碁に没頭できるなら、充実した日々を持てるように思えていました。しかし実際に、いつでも囲碁ができる状況になってみると、それだけでは物足りないのです。時間を生み出して囲碁に向かう事が楽しかったのです。
 前後して「立川マンドリンクラブ」の存在を知り、鹿野代表のご親切な応対に接し、オーディションなしで入部を認めてもらいました。長い間触れていなかった楽器を修理し、合奏に参加して、その楽しさを味わいました。
お陰様で、退職後の生活に彩りを加えることが出来ました。
2.入部後の数年
 創始期から育ててこられた先輩部員の皆様に感謝し、迷惑とならない様努めていました。 特に代表をはじめとする役員の運営のご苦労とお気遣いには敬服していました。
学生時代と就業後数年のマンドリン合奏に加わっていた頃は、多少の演奏技術を身につけていたので、ある程度の練習で、40年前に戻れるであろうと安易に考えていましたが、実際は違いました。暗譜が出来なくなり、目で見た譜面から手のへの神経の連結が、ぎこちなくなっていました。それでも、自分の役割を見つけようと試みました。しかし、その姿勢は障害となった場合もあったようです。?。
 又、40年前にお会いしたことのある鈴木精一氏、高橋功氏、伊東尚生氏の雰囲気を伝えられたらと思い、一部の方々にその時代の様子を伝えましたが、興味を示してはもらえませんでした。
(写真は、先生達と同席した場のもので、後列左から2人目が20代の私です。) そこで、多少の役に立つなどと考えず、合奏を楽しませてもらうようにしました。
3.それから現在まで
 定期演奏会への参加は回を重ね、10回を超えました。楽しかったのは、様々な曲に接する機会を得た事です。曲目のうちの映画音楽は、音の組み合わせの響きが心地良く、各作曲家の非凡な才能を感じました。又、聞き覚えのあるクラシックの名曲の演奏ができたのは、うれしい経験でした。
 40年前に弾いていた曲は、所謂マンドリンオリジナルの曲が主でした。当時はクラシックの曲に憧れ、個人的にそれら曲のピースを買い、一人で弾いていました。 現在、多くの有名な曲がマンドリンオーケストラ用に編曲されているのは有り難い事で、それらの譜面を用意して頂くクラブの方々に感謝しています。半面、往時の技量を取り戻せない状況には、はがゆい気持もあります。
様々なリズムも経験させてもらい、時代の移り変わりを感じました。現在、クラブでの活動は、日々の生活に彩りとリズムをもたらしてくれ、たいへん有り難いと感じています。 これからも、健康が保てる限り、クラブにお世話になりたいと思っています。