交響曲第6番『田園』
Conductor 初山 高志
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交響曲第5番(所謂『運命』)とほぼ同時期に作曲され、交響曲第5番と同じ1808年12月12日に初演されました。但し、初演では、この「田園」が交響曲第5番、「運命」が交響曲第6番として紹介されたようです。この日の演奏会は、交響曲第5番、第6番を含めた7曲で、休憩を含めて4時間を超すという長丁場。しかも、12月半ばというのに暖房がきかない演奏会場。聴衆は、震えながら聞いていたとか・・・更には、各曲を演奏するうえでの様々な不手際から、この日の演奏会は、失敗だったようです。
この交響曲第6番には、『田園』という標題がついています。これは、各楽章の標題と共に珍しくベートーベン自身によってつけられたそうです。 各楽章の標題は、以下のとおり。 第1楽章:「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」 第2楽章:「小川のほとりの情景」 第3楽章:「田舎の人々の楽しい集い」 第4楽章:「雷雨、嵐」 第5楽章:「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」 スメタナの「わが祖国」のような自然の情景を描写した曲のように思えますが、これは、ベートーベン自身が否定しています。「小川のほとりの情景」(を見たときの気持ち)、「田舎の人々の楽しい集い」(を見たときの気持ち)、「雷雨、嵐」(にあったときの気持ち)・・・のように、ベートーベンが田舎に赴いたときに見たり、出会ったりした際のベートーベン自身の気持ちを表現していると思った方が正解かと思います。 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ヘ長調、4分の4拍子 形式は、「ソナタ形式」。序奏は、ありません。いきなり呈示部です。呈示部第1主題は、主調のヘ長調。第1ヴァイオリンが、いきなりの8分休符の後に第1主題を奏でます。いきなりの休符、そして第1主題最後のフェルマータ・・・どことなく、第5番第1楽章 の冒頭に似ていますね。第1主題の動機が繰り返された後、経過句を介して呈示部第2主題(64小節)です。ソナタ形式では、主調が長調の場合には、第2主題は、一般的に属調(主調の5度上の調)で書かれます。このとおりにしない作曲家もいるなか、この曲では、教科書どおりに第2主題が属調のハ長調で奏でられます。ゆったりとした単純な第2主題は、高音系の楽器から低音系の楽器へと受け渡されていきます。呈示部は、形式的にもう一回繰り返されます。なぜ繰り返すのか・・・それがソナタ形式なんだと考えてください。 呈示部が終わると展開部(139)です。展開部では、第1主題、第2主題、更には、他の楽章の主題なんかを扱うのですが、この曲では、執拗に、徹底的に第1主題の動機をねちねちと繰り返します。変ロ長調、ニ長調、ト長調と転調しながら第1主題の動機を繰り返します。一段落して繰り返しがやっと終わったと思ったら、またもやト長調、ホ長調、イ長調へと転調しながら第1主題の動機を繰り返します。 つまり、この曲を何も考えず、単調に演奏しちゃうと、ひたすら動機の繰り返しで、聞いている方は苦痛極まりないです。動機が転調された瞬間を大事に、しっかりと「転調しました」とアピールするよう演奏する必要があるかと思います。 展開部が終わると再現部(283)。再現部は、呈示部の再現ですので当たり前ですが、やっぱり出ました第1主題。但し、呈示部のときよりも軽快に流れます。呈示部では、属調で書かれた第2主題。再現部では、ソナタ形式のお約束どおり、主調で現れます(と、言うことは、どう演奏すればよいか、わかりますよね)。最後は、展開部によく似たコーダで締め括られますが、第2楽章以下が控えているため、「これで終わり」感は、乏しいですね。 ベートーベンは、田舎が好きで、よく田舎を散策したそうです。そんな中から生まれたのがこの曲なんでしょうね。第1楽章が有名なこの曲ですが、第4楽章なんかは短いけど面白いですよ。コントラバスが「嵐」で大活躍です。以前、宇佐美さんに「6番4楽章なんかどうですか」言ったら、「絶対、嫌」と拒否されました。 |