立川マンドリンクラブ会報 第64号2018.04.21発行
木下富美恵さん   <
1st Mandolin 長谷川絢子
 20年余り、ご一緒する事になりました。がこれほどあっけなくお別れしてしまうとは、思ってもいませんでした。  昨年暮れに少し体調をくずして入院していたと伺いました。年賀状も書けずにいました。年が明けてから……と。  年が明け年賀状も届きホットとしていました。練習を休んだ時はお互いに報告しあっていました。
 1月22日も報告しようと電話を入れましたが、応答がなかったので「連絡下さい」と伝言しました。かかってきませんでした。
 24日、ちょっと心配だったので、再度電話をしたら、今度はつながりました。いつもの彼女の声ではなく、娘さんでした。「母が亡くなりました」と言う伝えを聞いて一瞬、冷たい物が走りました。何を話せば良いのか言葉につまりました。記憶がうすれています。又夜にかけなおしますと言って、いったん電話を置きました。
 私も今度は少し落ち着きましたので、再度の電話では様子を尋ねる事が出来ましたが、その時点では状況はまだわかりませんでした。信じられない気持ちの方が強かったと思います。
 彼女はいつも、定演ではお花係を。昨年も良く気が付かれ、気配りの出来た方だったのではと思っています。年と共に、何事も出来なくなっていく事にかなりのもどかしさがあった様でしたが、定演に出られる事が何よりの励みになっていたのではないでしょうか。
 まだ、いつもどおり立川駅での待ち合わせがある様に思ってしまいます。
ご冥福をお祈りします。
1st Mandolin 川北 祐子
 木下さんが亡くなったことを知ったのは、雪が降った翌日の1月24日、外出中にかかった長谷川さんからの電話でした。思いもよらない悲報に、雪道を歩きながら涙が止まらなかったことを覚えています。
 木下さんは、私がクラブに入部した20年前から、ずっと親しくして下さいました。いつも変わらず穏やかで、謙虚で優しく、一緒にいるとあたたかい気持ちになりました。
ご自分のことを積極的には語らない控えめな方でしたが、高齢になられても、マンドリンだけでなく、いろいろなコンサートや観劇、旅行などを気軽に楽しまれていました。練習欠席の理由を伺うと、「実は旅行に行っていたの」と照れたようにおっしゃることがよくあり、宝塚劇場でばったりお会いしたこともありました。
昨年末から体調をくずされ、心配しておりました。それでも、1月中旬には「暖かくなったら練習に復帰し、定演もがんばって参加したい」と電話ではっきりおっしゃったので、とてもうれしく思っていたのに。。。
 今でもいつもの待ち合わせ場所に行けば、はにかんだような優しい笑顔の木下さんに会えるような気がしています。故人のご冥福を心よりお祈り致します。