エグモントという人物は歴史上に実在しました。ラモラール・エグモント(Lamoral Egmont)といい、1522年11月18日に生まれ、1568年6月5日に処刑されたオランダ人の貴族の軍人であり、政治家でした。 1557年から58年にかけてフランスの対スペイン戦争に参加して名声をあげ、その後、オランダにおける新教の普及と、ネーデルランドの独立をはかりました。1561年から64年にかけて、ヴィレム一世およびホールンとともにスペイン軍を防ぎましたが、1567年にスペインのアルバ公がオランダ総督に着任すると直ちにエグモントは、ホールンとともに捕えられ、翌年に処刑されました。 ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832)はこの史実をもとにして、エグモントを主人公にした悲劇を書きました。そのあらましは次のようになっています。スペインの圧政から逃れて独立しようとする16世紀のオランダが背景となっていて、フランデルの領主エグモント伯は、その独立運動の指導者として登場します。 スペイン王のフィリップ2世は、その弾圧のためにアルバ公をさしむけます。エグモントは、親友のヴィルヘルム・フォン・オラーニエンの忠告を聞かないで、無謀にもアルバ公に直言をしたため捕えられ、死刑の宣告を下されてしまいます。 愛人のクレールヒェンは、必死になってエグモントを救おうとしますが、ついにその力はおよばず、自ら毒をあおいで死んでしまいます。断頭台に引かれる寸前のエグモントは、ちょっとまどろむが、そのときクレールヒェンの顔をした自由の女神が夢に現れて、彼の死がネーデルランド諸州に自由を与えることを暗示します。これに励まされたエグモントは、勇気を奮い起こし、覚悟を決めて断頭台へと向かうというお話です。 ウィーンの宮廷劇場の支配人であるヨーゼフ・ハルトル(Joseph Hartl)から依頼されたベートーヴェンは、1809年の暮れから翌年にかけて作曲しましたが、同年の8月21日の手紙に、「私はもう詩人に対する愛からのみで、エグモントを書きました・・・・・・」とあるようにゲーテを深く敬愛していました。そして、「エグモント」の初演は、1810年5月24日にウィーンのブルク劇場(宮廷劇場)でベートーヴェン自身の指揮で行われました。 |