立川マンドリンクラブ会報 第56号2016.04.10発行
「第九」をウイーン楽友協会ホールで歌う     Mandola 町野俊明
きっかけ 「音楽の散歩道」講座(多摩ライフクラブ)の岡本先生は、子供の頃にウイーンに住んでいて、講義には生きたウイーンの話が出て来ました。何度も聞いているうちに、 ウィーン楽友協会ホールでオーケストラを聞いてみたいと思うようになっていました。
 「昨年3月の楽友協会ホールで第九を歌う話」を知ったのはもう練習しても間に合わない時期でした。今年3月の計画を昨年10月に知り、今度は文句なく参加を決心しました。
 参加資格 第九を舞台で2回以上歌った経験のある人は OK.。それ以下の人は練習会に4回以上参加すること。私が第九を歌ったのは停年直前で合唱もまた始めようかと思った 1994年に「三多摩第九」1回だけです。当時は完全に歌えたから練習すれば大丈夫と考えました。6回の練習会と、ウイーンの先生などの2回の公式練習に参加しました。
 6回の練習会では、テノールの参加者が1~3人で、自分一人だけでも歌わないといけない、とても厳しい状況の練習でした。
 個人練習 最初は三多摩の時の「テノール練習テープ」をウォークマンで聞きながら練習し、外出時にも繰り返し聞きました。後半はウイーンフイルの演奏の録音に合わせての練習と、外出時に聴いて、合計で500回以上は聞いています。変な声で ff を出し ては近所迷惑で、口に弱音器は付けられないため、段ボール製の「だんぼっち」と言う防音室を買って、その中での練習です。好きな時間に練習ができてマンドラの練習にも重宝しています。
 合唱リハーサルが前日に本番指揮者で行われました。素人の我々をピタッと合わせて感情をこめさせる指揮者の魔法の手の動きにびっくり仰天。プロの指揮者はこんにすごい能力を持っているんだ。当日午前はゲネプロ、合唱は人数が多いので座席配置も大変です。

第三回 UTAUDAIKU in ウイーン演奏会(東日本大震災復興支援プロジェクト)
指 揮 :シュテファン・ヴラダー(1985 年に国際ベートーベン・ピアノコンクールで最年少優勝.
  2008 年ウイーン・カンマー・オーケストラ主席指揮者)
  オーケストラ:ウイーン・カンマー・オーケストラ(1946 年創立)
ソプラノ:アレクサンドラ・ラインブレヒト 2006-2013 ウイーン国立歌劇場に出演。
  2008 年に代役出演が成功をおさめて衝撃的なデビューを果たした。
アルト:マリアーナ・リポヴシェック 世界のメゾ・ソプラノ歌手10人に必ず名が挙がる大歌手。
  世界中の大歌劇場でメゾの大役を殆ど歌っている。
テノール:ジョン・健・ヌッツオ 2000 年にウイーン国立歌劇場と専属契約を結び、2000/2001 年度オーストリア芸術新人大賞を受賞。
  打上会で乾杯の音頭をとり、私は健さんと甲斐さんにサインを頂いた。
バリトン:甲斐栄次郎 イタリア・ザンドナイ・コンクール3位、ティト・スキーパ・コンクール1位。
  2003 年から10年間ウイーン国立歌劇場専属ソリスト歌手。
ウイーン少年合唱団 23 人 10~14歳の少年で構成、1年間のコンサート 300 回、観客数50 万人。
  王宮礼拝堂での日曜ミサにも出演、私たちも 3/6(日)に行ってきました。
コーラス:UTAUDAIKU コーラス 253 名の混声合唱、日本人の他オーストリア人 33 名。  本番は 19:30 から。舞台が狭いので開場前に合唱もオケも着席。客は開演15分前位から直前に入ってきて、どうやって集めたのか満席です。
 第四楽章(合唱付き)のテノールは、大阪から参加した方々がしっかりと音量を出して歌ってくれたので自分も歌いやすく、「この後はもう声が枯れても良いさ」と力 一杯 ff を出して、気持ちよく心ゆくまで歌いました。
 アンコールは「花は咲く」。一番は少年合唱団が正しい発音の日本語で、聞き惚れるように綺麗に歌いました。退場を始めた時に、隣のテナーが声を掛けてきました。しかし、私は感動で声が詰まってしまい、返事ができませんでした。