立川マンドリンクラブ会報 第53号2015.06.20発行
交響詩『フィンランディア』について
ジャン・シベリウス作曲 作品 26   
Conductor 初山 高志
 第 30 回定演で演奏した大序曲「1812 年」の時代から遡ること 5 年前の1807 年、フランス皇帝・ナポレオンとロシア皇帝・アレクサンドル一世との会談で、スウェーデンを「大陸封鎖令」に参加させるためにロシア帝国がスウェーデン王国に圧力をかけることになりました。これにより第二次ロシア・スウェーデン戦争が勃発。この結果、1809 年にスウェーデン王国が大陸封鎖令に参加することになると 共に、それまでスウェーデン王国に支配されていたフィンランドがロシア帝国へ割譲されます。これによって、ロシア皇帝がフィンランド大公を兼ねた「フィンランド大公国」が設立されました。
  因みに、ロシア帝国は 1810 年に大陸封鎖令を破ります。これが大序曲「1812 年」であ らわされる 1812 年ロシア戦役の発端になります。 フィンランド大公国は、フィンランド人による自治がロシア皇帝から大幅に認められており、フィンランド語も公用語として使えました。このため、この時代にフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』が出版されるなど、フィンランド文化の基礎が構築され、フィンランドの民族的な運動が盛んになりました。 シベリウス公園にあるシベリウスの肖像(ヘルシンキ・フインランド)、
[アレクサンドル2世時代]
 1848 年、フランスで 2 月革命が、ドイツで 3 月革命がおきますと、フィンランドでも学生を中心に民主化運動とナショナリズムが高まります。一方で、1864 年から 1871 年までの間のドイツ統一戦争の結果、ドイツ帝国が誕生します。ロシア帝国とドイツ帝国は、一時、同盟関係になるも、関係は悪化。ドイツ帝国を警戒するロシア帝国は、中央集権に走り、帝国内の各民族への統制を強めていきます。その結果1899 年にロシア皇帝・ニコライ二世が署名した二月詔書によってフィンランドの自治権廃止が宣言されます。これには、フィンランド人によるフィンランド大公国の自治の剥奪、フィンランド語の禁止とロシア語の強要等が含まれており、第 1 次ロシア革命が起きるまでフィンランド人は、ロシア帝国の圧政に苦しめられることになります。こんな時代背景の下、1899 年、「フィンランディア」の元となる「フィンランドは目覚める」が作られ、更に、1900 年に改定されました。

←市中心部の元老院広場に建てられたロシア皇帝アレクサンドル2世像

この交響詩「フィンランディア」は 2つの序奏を持つ三部形式。
△最初の序奏(Andante sostenuto)では、半音階の動きによって表される重苦しい空気と、それに続く悲痛な叫び、嘆き、怒り・・・ロシア帝国による圧政と、フィンランド人の苦しみが表現されています。
△これに続く2番目の序奏(Allegro moderato)では、緊迫した特長的なリズムが金管楽器群によって刻まれつつ、第 1 の序奏を思い出させる重苦しくも力強い旋律が木管楽器群、弦楽器群によって奏でられ、緊張感が高まります。
○主部では、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』をモチーフとする 5 拍子的なリズムを持つ上昇下降の旋律が低音楽器によって奏でられ、フィンランド人はロシア帝国の圧政に立ち向かいます。
○中間部は、所謂「フィンランディア賛歌」と呼ばれています。「フィンランディア賛歌」は 1941 年にヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミによって歌詞がつけられました。この「フィンランディア賛歌」は、フィンランドにおいて国歌に次ぐ愛国歌として現在でも広く歌われている。また、この中間部は、讃美歌の「やすかれわがこころよ」の旋律としても使われています。
○中間部が終わりますと、主部が再現され、勝利感に満ち溢れたなか感動的に曲が閉じられます。