立川マンドリンクラブ会報 第45号2013.07.21発行
伊藤先生に寄せてアンサンブル金沢マンドリーノ Con. Mas.戸田多恵子
 2005年の1月、ご指導いただいていた中川信良先生が入院された時、伊藤先生をご紹介くださいました。
 距離的にもまた立川マンドリンクラブの練習があって大変なことも承知で、頼み引き受けてくださったお二人の強い絆と信頼関係に支えられて6月25日に無事定演を迎えられました。
 死期を悟っておられたかのような盛りだくさんの選曲、そして伊藤先生の「オペラ座の怪人」が加わりました。  とにかく目標に向かっての熱い思いとそれに応えたい気持ちで夢中で乗り越えたような気がします。部員たちから練習の後はクールダウンしないと 家に帰れないという声が出るほどの迫力あるご指導に、引っ張られついつい頑張ってしまう…毎回そんな充実した楽しい練習でした。
 今でも菜箸スティックのカウント、先生お得意の交叉強弱、pppp が 1 なら ffff は 10 という分かりやすい表現、そして些細なことでも褒めてくださったあの練習の光景が思い浮かびます。
 2008年の12月を最後に指揮を終えられましたが、6月の定演のアンケートを読み自ら連絡を取り後任の指揮者に繋いでくださいました。指導者が不在になるかもしれなかった私たちはその眼力、確信と決断力に感謝の言葉しかありませんでした。 先生はメンバーの希望をよく聞いてくださいました。
 指揮を降りられる頃でしたが、そんな先生に甘え、マンドリンとギターの 2 重奏の曲が欲しいと言ったことがあります。しばらくして「ギター弾き語り・愛唱歌集」と題した 15 曲の楽譜が届きました。
 先生らしく几帳面に歌詞も書き添えられていました。
 先生と奥様の思い出の曲らしく鼻歌でも歌ってくださった「あいつ」やこれからも歌い継がれる愛唱歌にふさわしい曲ばかりでした。せめて録音ででも聴いていただきたかったのにそれすらも叶えられなかったことが、今でもとても心残りです。
 先日、先生のお宅に伺う機会があり電車・バスを乗り継ぎながら、こんなに遠い道のりを通っていただいていたのに私たちは恩返しが出来ていたのかと自問し申し訳なさがこみあげてきました。

 クラブの危機を救ってくださったこと、「今出来ることを頑張ること」そう言って励まし、たくさんの愛情・情熱を注いでくださったこと、中川先生亡きあとのアンサンブル金沢マンドリーノに新しい歴史を作ってくださったこと、そしてたくさんの思い出を私たちは忘れません。
 これからもずっと感謝しつづけます、先生の凛としたお姿を思い出しながら。