立川マンドリンクラブ会報 第44号2013.04.14発行
「マンドリン合奏はなぜ楽しいのか」に関する一考察(?)について
    Guitar  竹内幸一郎
 編集担当の方からクラブの楽しさ、クラブへの希望についてなにか書けとのご指示がありました。本題とは少し外れるようにも思いますが日頃思っていることを書かせていただきます。
 マンドリン合奏はなぜ私たちの心を強く捉えるのでしょうか。演奏を聴く側と演奏する側で考えてみたいと思います。
定演アンケートで「演奏を聴いて涙がでてきました。こころが癒されました」とよくご感想をいただきます。立川MCに限らず、少人数で技術的にも初歩的な他のクラブでの演奏会においても、マンドリン合奏を初めて聴いたご年配の方から同じような感想を聞きます。これはなぜなのでしょうか。
 私は日本人の心に潜在的にある「もののあはれ」に対する美意識にあるのではと思っています。
 ご存知のようにマンドリン、ギターという楽器は撥弦楽器です。トレモロ奏法もありますが基本的にはピックまたは指で弾いて音を出します。この音は弾いた最初が一番大きな音でその後徐々に衰退していきます。この余韻が心の琴線にふれ、そこに亡びの美学を感じて心に染み入るのではないでしょうか。ギターの音に特に顕著ですが、音の遠達性(弾いた音が遠くまで届く性質)がちょうど除夜の鐘のように心に染み入るのです。そしてその音色は金管楽器のように少し押し付けがましい音でなく(管楽器がお好きな方、独善的な意見ですいません)、障子を通して入ってくる光のように温かく柔らかい音が心に感動を与えることとなるのではと思います。
 マンドリンのトレモロの音も、繊細ではかない音色の点では同じように考えられ、その奥ゆかしさがマンドリン演奏の好まれる一因となっているのではないでしょうか。
 それでは演奏する側からの楽しみとはなんでしょうか。
 これは部員それぞれでいろいろあると思いますが、私個人としてはみんなで一つの音楽を作り出すということに尽きるように思います。この過程で気持ちを合わせて一生懸命練習し、良い音楽を作り出すことでの達成感、充実感が楽しみを与えてくれるように思えます。さらにこれら達成感、充実感は、楽しい練習ということが大前提ですが、ゆるい演奏、ゆるい練習での楽しさでは得られないものと思っています。
 より高い目標を目指し、部員がお互い励まし合って練習することで技術的壁を乗り越えて初めて得られるものであり、クラブ活動の楽しさもそこにあるのではと思います。これら楽しみをより深くするためには、演奏技術、運営および企画力等々の自分の特性をクラブに反映させることが大事であり、だれかが楽しくしてくれるのを待っているのではなく、各人が自ら楽しくしていかなければならないものと思います。
 立川MCも50名をこえる大所帯となり、すばらしいことにいろいろな個性、考えをお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。「知性とは自分とは別の資質の人間、別の価値観の人間を許容しその才能を認めることである」との言葉もあります。
 今回制定した「クラブ会則」にも謳われていますように、お互いの信頼関係を尊重して、クラブ運営にそして演奏に積極的に参加していただき、部員みなさんにとってマンドリン合奏がより楽しいと感じられるようになれたらとても素晴らしいことと思っています。