立川マンドリンクラブ会報 第44号2013.04.14発行
立川MCによせて~     Mandolin 竹内 章
 最後の転勤となるであろう東京本社赴任は2007年10月のことです。その年の夏は勤続30年休暇として家内とイタリア旅行をしました。マンドリンを趣味とする者としては聖地ナポリにてカラーチェ工房等訪れたいところですが、とにかくイタリア名所を数多く巡る旅でしたのでそんな時間の余裕はありませんでした。しかしながらイタリアの文化・歴史と空気に直に触れた経験は、マンドリンを奏でる時にいくらかのイマジネーションを喚起してくれるような気がいたします。
 赴任して半年間、休日には時間の限り都内見物をしておりましたが、次第にマンドリン合奏をしたい気持ちが高まり、Webで都内の団体の検索を始めました。ポイントは演奏曲目,人数,年齢層,交通アクセス等で、いくつかの団体を絞り込み、練習見学を開始。立川MCは3番目に伺った団体でした。丁度,A.Amadei「海の組曲」の合わせを始めるところでしたが、「よかったら弾いてみますか?」とマンドリンを手渡してくれたのが代表の鹿野さんでした。こうした応対は初めて訪れた見学者にとりまして親しみを感じるとともに入部への強力な後押しとなるものです。立川MC入部の決め手はオリジナル曲のみならず、ポピュラー,クラシック等幅広いジャンルの音楽を取上げていることと、年齢層が近かったことです。自宅から立川への移動距離は短くはなかったのですが、中央線下りの先には学生時代にマンドリンとともに過ごした町である甲府へとつながることが私にとっては馴染みを感じるものでした。
 こうして2008年3月に入部し、翌4月には新入部員歓迎会が催されました。全体合奏だけでなく小編成演奏にも興味があった私は、同じく新人の2M後藤さん,MD渡辺さん,G森本さんとでカルテット編成を思いつきます。そして後藤さんの大学時代の先輩だったCBの齋藤さんに加わっていただき、アンサンブル「マンドリン酒場」(※1)を結成しました。
 2010年6月には立川MCにとって数年ぶりとなるミニコンサート復活にこぎつけましたが、マンドリン酒場メンバーをはじめ多くの部員による予想外のエントリーには大いに勇気づけられました(※2)。今後もミニコンの継続とともに,より多くの部員が自分の殻を脱ぎ捨て、思い切って少人数編成にてエントリーされることを期待します。
 年明けから間もない過日、伊藤さんご逝去の報を部員の方が教えてくれました。立川MCの黎明期から献身的なご指導をされた伊藤さんの訃報に部員の皆様の悲しみはいかばかりかと察するに余りあります。伊藤さんの合奏指導は時には厳しかったと伺っていますが、こうした厳しさがあったからこそ、現在の立川MC発展の礎となったことは部員の多くの方々が認めるところでしょう。
 また,新年度早々には施行されたばかりの会則に基づき、総会が開催され,役員選任が行われたと伺いました。ようやくクラブとしての体裁が整い、精神の拠り所が部員全員に共有されることとなります。かねてより会則制定を提言していた者の一人としてまことに喜ばしい限りです。
かように立川MCは30余年の伝統を誇りながらも、新生立川MCとして生まれ変わりつつあります。丁度今年は巳年にあたり、まさに脱皮の時です。これからも末永く、多摩地区有数の社会人マンドリンクラブとして益々その存在感を示し、大きく発展していただきたいと願っています。                       (2013年1月)