立川マンドリンクラブ会報 第38号2011.10.29発行
新しい仲間(19)
1st Mandolin 粟屋淳子さん      「合奏の喜びをもう一度」
 7月に入部させて頂きました、1stマンドリンの粟屋淳子と申します。
 立川市内の幸町在住で、夫、子供二人、主人の母の5人家族です。銀行勤めと家事との慌ただしい毎日ですが、息子は大学1年、娘も小学6年になり、少しは自分の時間も持ちたいと思い入部を決めました。
 音楽との関係は、幼少よりピアノを習い、小学校高学年の頃はレッスンの他にソルフェージュや調音など週に3回先生宅へ通った時期もありました。ただ漠然と「音大へ行くのかなあ~」と思いながらも練習はきらいで、あまりいい思い出はありませんでした。高校受験を機に少しお休みし、結局やめてしまいました。
 埼玉の女子高校に入ると、やはり音楽をやりたくてマンドリン部に入部しました。一人で弾くピアノとは違う、仲間と共に音楽を創る楽しさや合奏の感動を知りました。
 音楽好きの私ですから、もちろん子供にもピアノを習わせました。長男はなかなか音楽のセンスがあり、ピアノも上達しました。中学校受験を経て中野にある男子校に入学しましたが、部活動は音楽系に入れたいと思いました。かつて自分がマンドリン部で味わった合奏の楽しさを教えたかったからです。幸にも息子の学校は男子校では珍しくオーケストラがあり、入学前に演奏会を観に行くと、私が高校時代にマンドリン部でやった「ハンガリア狂詩曲№2」や「ファランドール」が演奏され、自分の青春時代とオーバーラップしました。息子もパーカッションに魅せられ入学と同時に入部し、音楽一色の6年間を過ごすこととなりました。その間、私も夫もクラシック好きになり、高校2年時のウィーン演奏旅行には夫婦で同行し、音楽の本場を満喫しました。
 息子にすっかり影響され、「私ももう一度合奏をやりたい。」そう思っていた矢先、高校卒業以来初めての同窓会があり、多くのマンドリン部の仲間と再会しました。中にはマンドリン部OB会で今も演奏をしている友人もいました。「私の楽器、まだあるかしら・・・。」数日後実家に電話、納戸から出てきた私のマンドリンはとりあえず音が出ました。ケースの「下倉楽器」のロゴを頼りにお茶の水店に持ち込み、チェック&弦の交換を経て甦りました。
 仕事をしながら二人の子供を育て、20年も住み慣れた思い出多い三鷹の地を離れて1年、主人の実家である立川は私にとって自分の街になりきれていませんでしたが、この「立川マンドリンクラブ」で皆さんに温かく迎えていただき、やっと立川にも愛着が湧いてきました。まだまだ指は動かず上達には時間がかかりそうですが、どうぞよろしくお願いいたします。