今年の定期演奏会の演奏曲目に、「1812年」と「オペラ座の怪人」が選ばれました。
この2曲から、共通の名前を連想したのですが、それはナポレオンです。 ナポレオン・ボナパルドは、フランス革命側の軍人として頭角を顕し、イギリス・オーストリア・プロイセン(ドイツ)・オーストリア等との戦争を優位に戦い、イタリア・エジプトに遠征し、1804年に皇帝に即位しまた。しかしイギリスとの海戦では敗北が続き、制海権を確保できず、各国にイギリスとの交易を大陸封鎖令で禁止していました。 1812年にロシアがこの大陸封鎖令を無視したため、ナポレオンはロシアに侵攻しました。対するロシアは敗走を重ね、自らモスクワを焦土として犠牲をはらいながら反攻を期していました。そして、やがて訪れた冬将軍にナポレオンは完敗したのです。 トルストイの小説「戦争と平和」でこの経緯が語られているのは、ご存知のとおりです。「1812年」は、この祖国戦争勝利・70周年に因んだ曲と言われています。 この曲は、知られた旋律が表題的に用いられています。冒頭のロシア正教聖歌「神よ、ツアーリを守りたまえ」、ナポレオン軍を表わすフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」、ロシア国民を表わすロシア民謡、勝利の帝政ロシアの国歌、などです。 「オペラ座の怪人」はナポレオン3世と関連があります。ナポレオン3世は、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルドとナポレオンの妻ジョセフィーヌの連れ子オルダンス・ド・ボアルナの子です。つまりナポレオンの甥であり、かつ義理の孫なのでが、ジョセフィーヌの先夫との孫でもありますから、近親の子ではありません。 ナポレオン3世は、1848年の2月革命で共和制となったフランスの大統領となり、1852年にはクーデターを経て皇帝に即位しました。 「オペラ座の怪人」の舞台のガニエル宮は、ナポレオン3世が自らの帝政を讃える為、1860年からその建設を始めました。工事は困難を極め、特に大きな課題は大量の湧水でした。水による工事の中断等を経て、地下の水を排除出来ないまま、その上に、オペラ劇場を建設したそうです。ガニエル宮では1989年までオペラが演じられていましたが、革命200年記念として完成したパリ国立劇場(バステーユ)にその役割を譲り、今はバレーを主な演目にしています。しかし多くの人は、「オペラ座」と言えば、シャガールの天上絵が栄えるガニエル宮を思い起こします。なお、ナポレオン3世は1870年の普仏戦争で負けて失脚し、1875年に落成したガニエル宮を見る事は出来ませんでした。 この地下の得体の知れない池を題材として、1906年にガストン・ルルーが小説「オペラ座の怪人」を発表し、この小説を基に多くの映画・ミュージカル・テレビドラマが製作されました。ミュージカルは異なる数作があるようで、今回演奏するアンドリュー・ロイド・ウエバーの作品は、1986年にロンドンで初演され、現在も各国で公演され続けています。筆者は3年前にブロードウエイで見ましたが、舞台から遠い席でした。 2曲からのこの連想は、「こじつけ」でしょうか。 |