1810年、大陸封鎖令を破って英国と通商を開始したロシア帝国に対し、フランス皇帝ナポレオンは他国への見せしめのため、ロシア帝国に攻め入ることを企てます。これが1812年ロシア戦役(ロシア側でいう「1812年祖国戦争」)の発端です。
1.序奏部分(1小節~76小節 以下「小節」を省略) ロシアの民衆は祈ります。『主よ、汝の民を救いたまえ。汝が持てるものを祝福したまえ。汝に祝福されし我が軍勢に勝利を与えたまえ・・・』これが、この曲の冒頭、正教会の伝承歌『主よ、汝の民を救い』の意味です。神への祈りと、これから始まる戦争への嘆き、悲しみ、怒り・・・そして、ナポレオン率いる70万の大軍を前にする苦悩。 2.ロシア帝国軍の行進(77~95) フランス帝国軍を迎え撃つロシア帝国軍の行進。しかし、ナポレオン率いるフランス帝国軍と相対するためか、どことなく不安気です。 3.本 編(通称「ボロジノの戦い」・・・)(96~357) (1)ナポレオンの進軍(96~162) 切迫した変ホ短調の主題、そしてこれに続くフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律。1812年6月、ロシア領ポーランドに進軍したフランス帝国軍の怒涛の進撃です。同年8月、モスクワから西南西へ約360kmのスモレンスクにてロシア軍とフランス帝国軍との戦闘が開始されます。スモレンスクは陥落しますが、町はロシア軍の手で焼失させられてしまいます。 (2)ノヴゴロド地方の民謡(163~223) 曲は一変して嬰ヘ長調の穏やかな旋律(165~206)。ノヴゴロド地方の民謡をモチーフとする旋律だそうです。これに続く変ホ短調の舞踊調の静かな旋律、これは、迫り来るフランス帝国軍に対するモスクワ市民を表すものと言われています(207~223)。 (3)ボロジノの戦い(224~278) さて、スモレンスクを放棄したロシア帝国軍はモスクワから西へ約100km、スモレンスクからモスクワへ至る街道途中の町、ボロジノに陣を布きます。ボロジノの戦いです。1812年9月、ボロジノの戦いが始まります。231小節目から再びフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が現れます。「ボロジノの戦い」は双方が多大な犠牲を出しつつも、フランス帝国軍が辛勝し、ロシア軍はモスクワへの道を明け渡します。 ※ 当時の首都はサンクトペテルブルクであってモスクワではありません。 (4)モスクワ入城(279~306) 曲は再び(2)で説明した穏やか旋律が流れ、これに続き、再び舞踊調の旋律が流れます。モスクワ市民がロシア帝国軍と共にフランス帝国軍に対抗します。 「ボロジノの戦い」に辛勝したフランス帝国軍はモスクワに入城します。しかし、モスクワは市長によって全てのライフラインが止められていました。この空のモスクワでナポレオンはアレクサンドル一世の降伏を待ちます。 しかしながら、これまでの戦いで決定的な敗北を喫していないロシア帝国軍は降伏しません。それどころか、モスクワで大火災が起こります。そう、ロシア帝国軍による焦土作戦です。この火災に前後して、フランス帝国軍は幾度か和議提案をロシア帝国にしますが、ロシア帝国側はのってきません。時間だけが虚しく経過します。 (5)敗 走(307~357) 灰燼に帰したモスクワに留まるフランス帝国軍に対し、ロシア軍の反撃が始まります。この反撃を受けたナポレオンは、ついにモスクワからの退却を開始します。 途切れ途切れに流れる「ラ・マルセイエーズ」の旋律(307~327)・・・退却するフランス帝国軍に対し、ロシア側のパルチザン部隊や、勇猛でなるコサック騎馬兵を含むロシア軽騎兵隊が襲撃します。さらに敗走するフランス帝国軍にロシアの冬将軍が襲い掛かります。そして伸びに伸びきった「ラ・マルセイエーズ」に対し、ロシア軍のカノン砲の砲声が轟きます(328~335)。 4.神の祝福(358~379) 冒頭の伝承歌『主よ、汝の民を救い』が流れます。しかし、堂々と流れる旋律と乱打される鐘の音は、神への感謝を表しているのでしょう。 5.勝 利(380~412) ロシア軍の凱旋と民衆の歓喜。そして、ロシア帝国国歌、『神よツァーリ(皇帝)を護り給え』(388~)が祝砲と共に大音量で奏でられ、盛大なうちに曲が閉じられます。 因みに・・・ロシア帝国国歌が作曲されたのは1830年、「ラ・マルセイエーズ」がフランス国歌として制定されたのは1863年・・つまり、どちらも1812年当時は国歌ではないんですけどね。 ※ 1~5と、3の(1)~(5)の副題は私が勝手に付けました。プロの解説と異なっているかもしれませんが許して下さい。 |