2年おきに開催される日本マンドリン独奏コンクール(通称ソロコン)は、演奏家・指導者をめざすマンドリン奏者の登竜門となっています。
第22回は2010年8月22日(日)東京のかつしかシンフォニーヒルズ・アイリスホールで開催されました。立川マンドリンクラブの皆さんの温かい応援の中、最終予選に残ることができ、6位入賞(順位は4位までしかつかないのだが最終予選の得点からすると)となりました。コンクール終了後に入選賞をいただきくことができました。さらに自由曲が、これから発売される記念CDに収録されることにもなりました。演奏の出来には満足できなかったのですが、CDや賞状という形に残ったことは本当に良かったと思います。5月8日(土)の関東地区予選から会場に足を運んでいただいたり、温かい励ましのメッセージで応援をいただいた立川の皆さんに本当に感謝しております。この場をお借りして、熱く御礼申し上げます。 1、片岡先生との出会い なぜコンクールを目指したのか。それは、2007年から片岡道子先生にマンドリン独奏を習い始めたことです。ではなぜ習い始めたのか、そのキーパーソンになったのは、現在は上海にいらっしゃって休部中の坂口さんです。坂口さんは、片岡先生の門下生でした。坂口さんからドイツのギター・マンドリンセミナーに参加したお話しを伺いました。私はとても興味を覚えました。ドイツ人の女性マンドリン奏者のゲルトルード・トレスタ-のCDを持っていて、そのやわらかい不思議な音色に魅力を感じていました。どうすればあんな素敵な音がでるのか知りたかったのです。その時、坂口さんからドイツのラバー(堅いゴム製)のドイツ・ピックをゆずっていただきました。でも、それを使ってもゲルトルードさんのような音は出なかったのです。それならドイツのセミナーに参加するしかないと思いました。そこで、HPを調べて、片岡先生と連絡をとりました。 2007年、2008年は仕事の関係でドイツのセミナーに参加することができませんでした。片岡先生が第1回のソロコンの優勝者だと存じ上げていたし、折角のご縁なので片岡先生にマンドリンの個人レッスンを受けることにしました。このように、コンクールに出たくて個人レッスンを受けたのではなく、ドイツのセミナーに参加したくて、それがちょっとしたきっかけとなって片岡先生の門下生となったのです。個人レッスンでは自分の希望で「ベニスの謝肉祭」(前回のソロコンで優勝した丸橋君が明治高校の定演で弾いていたのを聞いて気に入った独奏曲)と教則本を平行して練習していきました。初めての発表会に向けて、カラーチェの協奏曲第一番の第三楽章も練習しました。 左手の形が悪く、押さえられない重音がたくさんあること。譜面をしっかり読んで、拍子やテンポを意識して演奏する難しさ。コントロールが利かず流れが止まった演奏になる。などなど出来ないことがいかに多いか思い知りました。弦の張り方や楽器の持ち方なども含めて、自分がマンドリンという楽器をいかに知らなかったか実感しました。 2008年のルーテル市ヶ谷センターの発表会にも立川からたくさんの応援をいただきました。音が止まったり、気持ちが入りすぎて雑になったりと、現在の欠点が同じように出た演奏でしたが、独奏曲の楽しさを知り、コンクールに向けてがんばっている他の門下生の素晴らしい演奏を聴くことができた演奏会でした。もっと上手くなってコンクールに参加してみようかなと思った発表会でした。 2、ドイツのマンドリンセミナーに参加して そしてついに2009年の8月にドイツのオットワイラー・ギターマンドリンセミナーに参加してきました。その様子は片岡先生のHPで紹介されています。(http://kataoka-mandolin.jp/2009/08/post_16.html)合奏・個人レッスン・指揮法のレッスンと一日中、音楽漬けの毎日で、ドイツ・ピックの奏法を学ぶこともできました。このセミナーでは三人の先生に出会うことができました。動画サイトでティンパニを叩きながら久保田孝の「舞踊風組曲第2番」を指揮するドイツオーケストラで話題になったらしいオットー・ケルベーラ先生。ドイツの代表的なソリストであるステファン・トレッケル先生。そして、若いときにドイツに渡り、ソリスト・マンドリン指導者として活躍されてきた越智敬先生。最後の夜に越智先生から「テクニックは雑だが、あなたの演奏はどこか昔のイタリアのヴィルトゥオーゾのようだ。なかなかそういう演奏をする人はいないんですよ。」って褒めていただいたんです。(結構越智先生のこの言葉を今でも励みにしています。)修了の演奏会に先生方から推薦していただき、ベネズエラ人のエンデル君にギター伴奏してもらって「ワルシャワの思い出」を演奏したんです。ドイツ人の観客から大きな拍手をいただくことができました。「言葉が通じなくても、伝わるものもあるんだな」この拍手と、音楽用語と片言の英語で練習した中で掴んだ感覚でした。 この感動が忘れられなくて、コンクールの自由曲にすることにしたんです。日本に帰ってからも研究してドイツ・ピックにも慣れてきました。かなり力をかけて弾いても応えてくれるので、コンクールでも使用することにしました。ドイツでは学校の部活ではなく、社会教育がマンドリンの中心になっていて、個人レッスンでプロの奏者から正しい奏法を学んでいることに衝撃を受けました。立川で技術的なアドバイスをしようと考えたのも、このセミナーから刺激を受けたことが元にあります。 3、コンクールに向けて 昨年の10月ころにソロコンの課題曲が発表されました。ムニエルの「ビッザリア」と中野二郎の「夕べの想い」でした。どちらもそれほど難解な曲ではないのですが、「夕べの想い」は重音がきちんと出なくて、今年の1月頃まで全く曲になりませんでした。5月の予選まで一番練習したのはこの「夕べの想い」です。片岡先生には3年間、毎回のように、左手の押さえ方を注意されてきました。少しずつ形もよくなり、柔軟性も増して、しっかりと押さえられるようになってきました。またこの時期、和声やアナリーゼを秋山徹也先生に師事しました。「弾きあいの会」という勉強会(ほとんどピアニスト)があって、何度か舞台に立つことができました。予選の直前の「弾きあいの会」では落ち着いて、思い通りの「夕べの想い」が演奏できました。秋山先生からは和声に応じて音色を変えたり、表情をつけるように教わりました。何人もピアノとバイオリンのコンクール入賞者を出している先生なので、本当に学ぶことが多かったです。 4月から職場が変わり、なかなか練習時間を取ることができなくなりました。最大の問題点は土壇場にならないと真剣に練習できない私の姿勢だったと思います。でも天の助けか、関東予選の出場者が18人と多かったので、課題曲は「夕べの想い」のみ、自由曲は5分程度にカットすることになりました。そのため少ない曲に集中できました。その一方で天罰というか、予選の直前にぎっくり腰を患ってしまいました。よいカイロプラクティックの先生に診ていただいて、本番では痛みは殆どなかったのですが、20分も同じ姿勢で練習すると腰がつらくなってくるので、本当に泣きたくなりました。それでも休憩をとりながら予選前日は一睡もせずに練習をしました。不安で不安で仕方がなかったのです。 5月8日の関東予選では、朝の抽選で最後から2番目になりました。出番まで随分時間があったので、ロビーで休み休みずっと練習をしていました。そのお陰もあってか、随分落ち着いて演奏をすることが出来ました。ミスが多く、思い通りの演奏ではありませんでしたが、自分らしい演奏は出来たと思います。結果は一点差の4位で、全国大会への推薦はかないませんでした。それでも一人の審査員が満点をつけて下さったのと、立川の皆さんがよい演奏だったと褒めて下さったので、気分よく家に帰ることができました。弦楽器のイグチの井口さんから、追加の推薦の可能性もあるとお聞きして、少し期待もしていました。6月にマンドリン連盟から推薦状が送られてきました。 4、コンクールを終えて 8月22日の全国大会では、思いがけず6人のファイナリストに残ることが出来ました。その発表で自分の名前が呼ばれたので、本当にびっくりしました。そして立川の皆さんから一際大きな歓声を上げていただき、本当にうれしかったです。予選よりさらにミスが多かったので無理だと思って、もう着替えてしまいましたし、「夕べの想い」も自由曲の練習もせずにボーッとしていました。本選の演奏は、落ち着いていましたが、予選より練習不足の演奏となりました。これを完璧に近く演奏しなければ入賞の資格はないのです。私にはその資格がありませんでした。結果は6位でした。それでも箸にも棒にもかからないわけではないんだと、妙な自信を得ました。「もっと上手くなれば入賞を狙えるぞ」って本気で思ったのです。 コンクールの後、何であんなにミスするのかよく考えてみました。日頃先生から「歌いながら弾きなさい。」といわれるのですが、それが鍵だと思います。それは頭の中で音楽をイメージして、自分の発する音とシンクロさせることなのです。また「トレモロ命」のように余計な力が入った演奏や、技巧的な箇所に不安感を持っている時は、流れが止まり、頭の中でイメージなんてできないこともわかりました。ドイツ・ピックはイタリアものは使わない方がいいと考えています。何せ「イタリアのヴィルトゥオーゾ」が目標ですから。 今回が最後のコンクールと思っていましたが、今は2年後を目指しています。また、いろいろ学んだコンクールだったので、少しでも立川の皆さんに還元できたらと考えています。定期演奏会が終わったら、個人アドバイスの会を開いて技術的なサポートができればという青写真もえがいています。 応援いただきまして、本当にありがとうございました。 |