立川マンドリンクラブ会報 第33号2010.7.25発行
作曲家は、短命か長命か(2/3)2nd. Mandolin浜田 義継
メンデルスゾーンFelix Mendelsshone-bartholdy(1809-1847)
 メンデルスゾーンは1809年にハンブルグで生まれ、1847年にクモ膜下出血により38才で亡くなりました。ラテン語を始めとする多数の言語を自在に操り、一度紛失した楽譜(夏の夜の夢)を、記憶だけで再現する記憶力を持つ天才でした。大きな業績のひとつに、J.S.バッハの復活があります。バロックを研究していた20才のメンデルスゾーンは、営業的公演では成功の見込みがない「マタイ受難曲」を慈善公演で大成功に導き、忘れられていたバッハの偉大さを甦生させました。彼がいなければ、現代人はバッハを聴けなかったかもしれません。

ショパンFrédérick Chopin(1810-1849)
 ワルシャワ近郊でショパンが生まれたのは1810年で、今年は生誕200年です。肺結核により1849年に39才で亡くなりました。ショパンの時代のポーランドは、ロシア・プロイセン・オーストリアの3国に分割支配されて、国そのものが無くなっていました。敬愛する両親を祖国に残してパリで暮らし、愛するマリアから婚約を破棄され、愛人ジョルジョサンドとも別離を余儀なくされました。こうした苦難の人生に中から、美しくも激しい曲が生み出されました。
 5年に一度のショパンコンクールが、命日の今年10月17日前後に開催されます。生誕200年と相まって今年の秋には大ショパンブームが起こるでしょう。

シューマンRoberto A Schumann(1810-1856)
 ロベルト・は1810年にザクセン王国で生まれ、1856年に46才で肺炎により亡くなりました。(ザクセン王国はドイツが統一国家になる前の北ドイツの有力国家です。辞書等でシューマンの生まれがザクセン公国と説明されているのは誤りで、1806年にナポレオンによって神聖ローマ帝国が解体されて以降、ザクセン公国は王国に変わりました。)ショパンと同様、今年は生誕200周年です。母親の希望に従って法学を学びますが、音楽への情熱を断てずピアノに打ち込み、過度の練習で手を傷めてしまいます。(異説あり。)そこで作曲や評論で生計を立てるよう決意し、多くの名曲を残しました。音楽に興味のない人でも、「子どもの情景」なかの「トロイメライ」は知っているでしょう。妻のクララの方がロベルトより有名かもしれません。天才的なピアノ演奏家、当時は希な女性作曲家、そしてロベルトの妻の立場でのブラームスとの噂等、興味を呼ぶ逸話の多い女性でした。
(以下次号)