立川マンドリンクラブ会報 第33号2010.7.25発行
新しい仲間(16)
1st Mandolin 香月 博子さん
山あり谷あり
 立川MCの演奏会は何度か拝聴させていただき、豊田さんの演奏にただ感激しておりました。まさかこのたび仲間に入れていただけるとは夢にも思っておりませんでしたし、内心、今回は、我ながら勇気のあることをしたと思っているところです。
 きっかけは、一足先に入られた2ndの木村恭子さんです。彼女とは不思議なご縁で繋がっております。8年ほど前、ある場所で知り合ってお話をしているうちに、勇気ある彼女は、神戸の東灘の甲南に住んでいませんでしたか? と聞いてこられ、びっくり! まさに、私も神戸育ち、実家は木村さんのご実家と同じ町内、美容院、かかりつけ医院、さらにマンドリンクラブの恩師が川口優和氏、また、神戸職場音楽祭では、同じステージに立っていたこと等を知りました。後に、当時のセピア色のプログラムを持ってこられ感動しました。それ以来のお付き合いです。人との出会い…一期一会ですね。
 実家は、阪神淡路大震災で木端微塵に破壊され、私の当時のマンドリンの楽譜などは探すこともできずゴミとなって消えてしまいました。
 私は、最初はギターパートで6年ほど活動した後、長い間マンドリンクラブからはなれておりました。
10年ほど前、お誘いがあってフォークサークルに参加し、コードでじゃかじゃか弾きながら歌っていましたが、気分が乗らなくてまもなく辞めました。
 ふと、思い出しマンドリンケースを開けてビックリ、カラチェのネックが折れているではありませんか。当時、どこに修理を依頼するのか思案している時、佐賀の舅(古賀政男年代でしたので弾くそうです)の痴呆予防に送ってくれれば修理して使うということで喜んで送りました。ところが、私の知らないところでマンドリンは一人でイタリアカラチェの工房で修理されてきたのです。私の知らないことで良かった。なんと修理代が158000円だったそうです。義父は、すでにマンドリンには興味が無く、とうとう楽器は東京に帰されました。そして、9年前、私がヤマハ音楽教室に通って練習が始まりました。教えてくださった先生が「私でも難しいところは3000回でも弾きます」の言葉は肝に銘じております。
 夫婦でギターとマンドリンで合奏したこと、息子がピアノで弾き語ってくれたこと、娘がバイオリンで「愛の挨拶」を弾いてくれたこと…音楽は楽しい思い出を沢山作ってくれます。
 人生山あり谷あり、マンドリンで乗り越えたこともあります。立川MCでの思い出作りはこれからです。みなさまこれからどうぞよろしくお願いいたします。