立川マンドリンクラブ会報 第18号2006.11.4発行
私の楽器[借り物ギター奏者]小池久夫
中学3年生で全校生の前で弾くことになってしまった。この時は長兄の古賀ギターを使う。人見知りで、気弱で一人ぼっちのひねくれた少年の「何かが始まった日」でした。

次兄は1万円未満の月給で4万円の「河野ギター」を入手(多分昭和38年1963年)、、この兄は結婚しててひと騒動あったとか。
私の高校生活でもこの河野ギターは舞台に立ちました。んで大学、なぜか「マンドリンクラブ」に。
「俺、楽器持ってないんですけどギター引けます」で入部、この時借りたギターは記憶に残ってない(悪りぃっす)。
何かあると兄の「河野ギター」を借りた。3年生からの演奏旅行にはやはりこの楽器が活躍した。でも本音いうとこの楽器、どうやっても音が出なかった。いや、はじける音がこなかったな、、。
その違いを知ったのが4年生のとき、彼は正当なトップ奏者なのに私がその席で彼の「河野ギター」を弾いた。今から37年前の10万円の楽器でした。ポーンという音イメージ以上の音色に惚れぼれとしました。
この写真のギターです、右手を上げてるじいさんは鈴木の静ちゃん。
演奏は「シルクロード」 私ん中でこの時の強烈な印象が消えなくって、ええ、、。

自分のギターを持つチャンスはあった、けどほとんど後輩と飲んでしまった(ハハハ後悔ないっす)。だって先輩からそうしてもらったもんね、ホント。おでん一品飲み放題なんてことあったっけなー。

「俺の河野ギター貸すから現役にもどれよ」
という優しい同期の言葉に
「ホント、じゃ」あまえた。それから2週間後
「とにかくギター持って見学に来いよ、迎えに行く」
という先輩(笑) んで「立川マンドリンクラブ」に。

この河野ギター「5 1969」倉庫に寝てる時間も35年と長い、借りて半年は何か雑音が鳴るしピンと来なかったのに、それから2年、今最高にいい音色を発信してます。

9月9日国分寺MCからギター持参で同期会に、ギターの持ち主北村さんも出席で、2年ぶり「河野ギター」との対面となりました。
「復活したって?弾かして、、、あれーホント別の楽器になってるよ」
返してと言う事もなく、復活を喜び懐かしみ感激してるいい人です、ハイ感謝です。