7.立川マンドリンクラブ事件簿(続き) 前回に続き、今までに起こったいろいろな出来事です。今回は発表・お知らせ・告知などを思い出してみました。いずれも立川マンドリンクラブにとって新しい展開へと続く出来事でした。 ★重大発表 第10回定演の打ち上げ会場で、順番にスピーチをすることになりましたが、始まった時、E.Tさんから耳打ちされました。私の順番の時、「今日は重大発表があります。お楽しみに」と言ったところ何人かは「誰が?」と何かを期待していたそうです。その重大発表は「今まで裏方専念でしたが、楽器で舞台に上がります」。その後は皆さんご存知の通り、表でも裏でも重要な活躍が続いています。 ★告白 第21回定演に向けた合宿の帰り道、Kさんから「実は・・・」。何事かと聞いていると、「手がいうことをきかなくなったのでしばらく休みます」とのこと。しかし、1年ほどの休養の結果、復活してこられました。腱鞘炎に悩まされる人が多いのはこういう楽器とつきあうことの宿命なんでしょうか? ★うれしい発表! @2000年11月、帰宅すると「テレビマンユニオン」からの電話が。念願のACF出演の発表でした。 A2001年2月、北区滝野川会館でのマンドリン室内楽inTOKYOは、ACF出演が縁で半ば無理やり(5000円/人負担)出たコンサート。個別の講評ではベタほめに近いことばで、とまどっていましたが優秀賞の発表で藤掛さんから「迷いましたが・・・プロベル立川の皆さんに決めました」と聞いた時は「まさか」でびっくり。あのうれしさは今もしっかり思い出すことができます。 B2002年11月、ACF二度目の出演決定の電話。一度目ほどの新鮮さは思い出せませんが、その後に会社にかかってきた「音楽雑誌からインタビューのお話があります」の電話は耳に残っています。 C2003年6月、多摩都市モノレールの企画イベント募集を見つけて、はがきを出しました。その結果、採用決定が電話発表。45通の中から選ばれた4つということは、「和紙はがき」ががんばってくれた証、とこれもうれしい発表でした。 ★マンネリ脱却宣言 会長・代表・部長などの役を長期に続けることは、部員から見ると「楽できる」面と「はがゆい」面があると思います。何となくそんな役回りを続けてきて、「いつまで続けることになるのかな」と思い、第18回定演あたりから会長交代を言い続けた結果、何とか新体制に移行できました。毎年代わったり、終身代表だったりもあるでしょうが、そういうクラブは成長がないように感じます。 ★恒例の発表 第16回定演から始めた「音楽地球紀行シリーズ」では毎回エンディングの最後に次回の特集を発表してきました。最後まで聴いていただいたことへのお礼ともいえます。毎年来ていただいている人に、「来年はどこかな?」と期待してもらえるよう楽しいステージを目指してきました。クラブ員みんなも、足を引っ張ることなく参加しているようなので、うれしい限りです。 ★予告 「立川マンドリン物語」として連載してきましたが、そろそろネタも尽きてきたので、次回は最終回ということにしたいと思います。 |