立川マンドリンクラブ会報 第12号2005.4.2発行
立川マンドリン物語(5)ショウチュウロック ホームエイジ
5.低迷状態からの脱出作戦
第3回定演までの会場は高松公民館の視聴覚室、メンバーが20人を超えたことから第4回定演を市民会館小ホールに移し発足後は順調な成長を続けました。
しかし、その頃から若い人たちが結婚しだして徐々に減少(中にはメンバー 同士が来なくなったと思ったら結婚していたことも・・・)したために、第5回は再度視聴覚室に戻り、さらには指揮者なしの定演になりました。
再起を図って第6回から第8回までは現在のトポス前にあったヤマハ 立川店のサロンに進出しましたが、効果は現れず、 第8回はとうとう11人でのささやかな演奏会になってしまいました。 しかし、この時の11人のうち8人は現在まで継続。 「続けるんだ」という強い気持ちのある人たちなので、今後指が動く限り続くと思います。

何とか再び20人の合奏をしたいという 願いで、メンバー募集を市広報やミニコミ誌に掲載した結果、徐々に増えてきました。増えてはきましたが、 練習日の集まりはイマイチで、二人だけの練習日も2−3回ありました。
この頃の定演の曲目は宮沢さんの努力に乗っかった状態で、 選曲の苦労は一人だけ、企画を怠るとジリ貧になる典型だったと言えます。

そんな時、募集を見た力のあるメンバーが集まりだしたので、新たな試みを始めました。指揮を伊藤さんにお願いし、 それまでコンマスを続けてきた僕も指揮を担当。伊藤さんの選曲・編曲にも個性があって、新たな定演が見え出してきました。
そしてある時、ビデオを見て、真剣に考えさせられたのは、 「マンドリンには女性が合っている!!」ことでした。そのため、 ドラを弾いていた豊田さんを1stへ、長谷川(斉藤)さんをドラへと提案し、今の編成の基本ができました。
このような変革の効果が出たのかどうかはわかりませんが、メンバーが再び20人を超えてきたこともあり、 クラブのチェロを購入して僕はパートリーダに収まりました。

その後15回定演まで新たな発展を期して会場を立川市民会館小ホールに移し、さまざまな企画を始めました。それらの試行錯誤が現在の 「音楽地球紀行」に続くことになります。

次回はこの当時のユニークな取り組みや珍事件を振り返ることにします。
第4回〜第8回 立川マンドリンクラブ定期演奏会出演メンバー
第4回 85-11-23
市民会館小ホール
第5回 86-12-7
高松公民館
第6回 87-11-15
ヤマハ立川店
第7回 88-11-23
ヤマハ立川店
第8回 89-11-11
ヤマハ立川店
指揮
宮沢栄作
宮沢栄作
司会
浅野晃子
霜越裕美子
高橋喜久子
丸山亀美代
丸山亀美代
1M
古田栄治 松本三智子
大場郁子
豊泉幸子
古田栄治 大場郁子
豊泉幸子 栗本やよい
戸塚ふさ
古田栄治 大場郁子
戸塚ふさ 小泉幸子
豊田さゆり
古田栄治 田口加代子
戸塚ふさ 佐藤早苗
大場郁子
古田栄治 田口加代子
戸塚ふさ 佐藤早苗
2M
出合場光義 戸塚ふさ
淀川美智子 飯田静子
栗本やよい
松本三智子
出合場光義
佐藤早苗 内野弘子
佐藤早苗 相原暁子
三隅紀美子 佐藤早苗
内野弘子
栗本やよい 相原睦美
三隅紀美子
出合場光義
宮沢栄作
大場郁子
相原睦美
Dola
西山朋子 町野俊明
西山朋子 町野俊明
佐藤 優
西山朋子
佐藤 優
西山朋子
豊田さゆり
西山朋子
豊田さゆり
Celo
石川 暉
宮沢栄作
宮沢栄作
Guit.
樋川和義 石間敬章
田中美江子
長沼恵美子
黒川芳子
樋川和義 石間敬章
富田雅之
樋川和義 石間敬章
町野俊明 伊藤 博
沢野宏治
田中美江子
樋川和義 町野俊明
伊藤 博
富田雅之
樋川和義 町野俊明
伊藤 博
Bass:山本雅三
テノール:中村一郎
進行:北古賀、石井、
河角、豊田、石間
備考
テノール独唱、
ギター合奏、
マンドリン四重奏、
ギター独奏
マンドリン独奏
二重奏、小合奏、
四重奏
ギター独奏、
ギター合奏、
マンドリン四重奏
マンドリン独奏、
二重奏、四重奏
マンドリン独奏、
四重奏