立川マンドリンクラブ会報 第12号2005.4.2発行
「井戸端会議」(4)伊藤 博
立川マンドリンクラブにとって1年間の最大の行事は、毎年11月に開催される定期演奏会です。その中で昨年の第23回定期演奏会での「幻想序曲ロミオとジュリエット」の出来栄えは、昨年1年間だけではなく、立川マンドリンクラブの第1回から第23回までの定期演奏会を通じて最も高く評価します。そして長く記憶し参考にすべき画期的な演奏だったと考えます。
その原動力は、6年目を迎えた高津さんの真摯な指揮と、コンサート・ミストレス10年の豊田さゆりさんを中心に、緻密に練習を積み重ねた全演奏者の《活動の結晶》なのです。

私の音楽の友人の中にOさんという高齢のご婦人がいます。アマチュァながらピァノの名手ですが、ご主人もご子息もお嫁さんもピァノ・ヴァイオリン・管楽器などに堪能な音楽一家です。ご主人は音楽書の出版事業をされており、その音楽評論は超辛口だとのOさんの話です。
たまたま差し上げた第23回定演CDの「ロミ・ジュリ」をご主人が聴かれて、ウーンと唸ってから「これは管弦楽のロミ・ジュリよりずっと面白い。マンドリンによる音楽は初めて聴いたが、こんな凄いクラシック演奏が出来る楽器とは知らなかった」と言われたのだそうです。

私の持っている管弦楽のCDは、ダニエレ・ガッティ指揮のロイヤル・フィルハーモニーの演奏で20分44秒。立川のは15分18秒で5分半の差がありますが、これは6分半の陰欝な緩序奏をカットしたからです。同じ範囲で比較すると、さすがにロイヤル・フィルの方が1分以上速い。アレグロの所など目茶苦茶に速いです。これは対比して聴くと感じますが、立川だけを聴くと、充分に音楽的に切迫感のある速さです。《演奏の再創造》があるのです。

両者の演奏を対比してみると、まず第一に挙げられる大きな特徴は、2つの演奏が全く違った音楽になっていることです。立川の演奏が本物とは違った別の本物になっている証拠です。
以前にアンサンゾル・マーレの會田さんと話し合ったことがあるのですが、クラシック音楽、特に管弦楽を編曲してマンドリンオーケストラで演奏する場合、プレクトラム楽器の他に管楽器・打楽器を揃えて、演奏を少しでも本物に近づけようと努力します。速さが音量が音色が表情が、近づけば近づく程、本物のコピー(模倣)化やエピゴーネン(亜流)化して行くのです。

マンドリン音楽も芸術活動の端くれです。芸術が命をかけて最も大切にすることは、他の真似でなくオリジナリティ=独創性があるかどうかということです。作曲は《創造》という行為ですが、演奏は《再創造》という行為なのです。作曲・編曲された楽譜を使って、他の真似でない《独創的な再創造》を行なうことが《演奏》で最も要求されることなのです。

私たちが管弦楽の「ロミ・ジュリ」の打楽器以外は管楽器を使わずに、全て撥弦楽器で再創造したのは成功でした。ピッキングとトレモロ奏法から指の温もりの演奏音が響いて来ます。
そして特に、難度の高い部分を、遅いテンポから姶めて、目指す速さまで何回も何回も反復して練習したことが、技術的向上だけでなく、力強い連帯音を生み出したような気がします。

楽譜に忠実な、機械的な正確さという点では、立川よりも優れた演奏の出来る団体は他にたくさんあります。その中で立川マンドリンクラブは日本マンドリン連盟関東支部が企画した「合奏コンクール」に、この「ロミ・ジュリ」の演奏で参加することを決意しました。 私たちはこの機会に《演奏で練習でいちばん大切なものは具体的に何か》ということを、みんなで考えみんなで意見交換をする《井戸端会議》をしようではありませんか。