立川マンドリンクラブ会報 第7号2004.5.9発行
立川マンドリン物語(1)ショウチュウロック ホームエイジ
立川市にマンドリンのサークルが誕生して干支二回りの24年。この間ずっと休むことなく活動が続けられたのも、新しい仲間が加わってその都度新鮮な気持ちを持てたこと、加わったそれぞれのメンバーの家族の人たちの暖かい思いやりがあったこと、発表の場が持てたこと・・・だと思います。
 今回会報発行にあたり、まだ記憶が呼び戻せるうちに活動の経過を残しておこうということから、今までの活動内容を記録しておくことになりました
ということで、24年のうちの発足時から20年くらいを5回に分けて書きたいと思います。不足することがあったら何でもお知らせ下さい。随時補足していきます。

1.誕生
立川マンドリンクラブは、昭和55年(1980年)1月23日に始まった「立川市高松公民館マンド リン初心者教室」からスタートしました。この教室が3月で終了した時、公民館担当者の継続の呼びかけもあり、講師宮沢さん、生徒2名、それに「待ってました」と出かけた私の4人で教室の最終回(3月末) に発足を誓い合い、4月から毎週水曜夜を「練習日」として活動を始めることにしました。
この時の公民館は現在の高松会館の場所にあり、何十年もたった小学校の講堂のような広〜い部屋の片隅に、だるまストーブを囲んで5人でこじんまりと話し合ったことを覚えています。初代会長は松本さんに自然決定(もう一人の戸塚さんは「諏訪の森コーラス」の会長ということで・・・)。
その3ヶ月前、個人的なことになりますが、この前年に私は八王子から引っ越してきました。立川市の広報に載っていた「教室」を見つけましたが、自分で行くのもどうかと思い(“初心者”とは認めてもらえないだろうな)、妻に薦めました。 子供も2歳に近づいたのと、興味もあったようで休みながらも出かけていました。話を聞くと公民館側も継続を望んでいるようなことだったので、最終回に出かけた次第です。最終回は宮沢さんが確かギターで伴奏して発表会をしました。このとき宮沢・古田で「小雨降る道」を二重奏したのを記憶しています。(次号に続く)